概要
向山水和反応(Mukaiyama hydration)は、Co、MnまたはFe錯体、ヒドロシラン、分子状酸素を用いて、アルケンをMarkovnikov型アルコールへ変換する反応である。代表条件はCo(acac)2/PhSiH3/O2であり、酸素原子は水ではなくO2に由来するため、厳密にはアルケンへのHとOHの「形式的水和」である。[1][3]
強酸や水銀塩を避け、比較的中性・温和な条件で非活性アルケンを変換できることから、複雑分子合成で広く用いられてきた。現在は単独の水和反応というより、弱場配位子型金属ヒドリド水素原子移動(weak-field MHAT)によるアルケン官能基化の原型と位置づけられている。[7][12]
Brownヒドロホウ素化反応はAnti-Markovnikov型の水和生成物を与える傾向にあるため、位置選択性を変えたい時には要検討。
反応機構(現在の理解)
従来しばしば描かれた「Co(II)–O2種が先にアルケンへ付加する」経路は、現在では以下のように修正されている。Chem. Sci. 2020のにまとめられた機構では、まず金属アルコキシド/ペルオキシドとヒドロシランの反応により、短寿命で高反応性のM(III)–H種が生じると考える。M(III)–Hがオレフィンに水素原子移動を起こし、溶媒和された[炭素ラジカル···M(II)]cage を与える。続いて炭素ラジカルをO2が捕捉することで ヒドロペルオキシドROO•を形成した後M2+が反応することで3価の金属試薬が再生する。最後にシラン還元剤によりM3+–Hが再生し、水和された生成物を与える。ケイ素の高いoxophilicityがM-Hの生成を駆動する。[8][12]

M(III)–Hからアルケンへの外圏型H原子移動により、炭素ラジカルとM(II)種の溶媒ケージ対が生じる。Hが置換数の少ない炭素へ移ることで、より安定な多置換炭素ラジカルが生じ、Markovnikov選択性が説明される。ケージ内では逆HAT、異性化、M–C結合形成が競合し、ケージ脱出後には水素化、環化またはラジカル捕捉へ分岐する。[12]
古典的な好気的水和では、脱出した炭素ラジカルがO2に捕捉され、ペルオキシラジカルを経てアルコールへ還元される。後半の金属捕捉、シラン交換、O–O結合開裂および触媒再酸化の順序は触媒・配位子・基質に依存し、単一の普遍機構としては未確定である。また、通常の向山水和を一律にradical–polar crossover(RPC)と呼ぶのは適切ではない。[12][17]
特徴・適用範囲
カルボカチオンを経ないため骨格転位を起こしにくく、酸感受性官能基を含むテルペン、ステロイド、天然物中間体にも適用できる。一方、ラジカルの異性化・還元・環化、O2の物質移動、過酸化物の生成、基質依存の位置・立体選択性が制約となり、特に立体的に自由な基質ではdrが低いことがある。[6][12]
| 手法 | 酸素源/求核剤 | 特徴 |
|---|---|---|
| 古典的向山水和 | O2 | 好気的MHAT。温和で適用例が多い。 |
| ニトロアレーン法 | 電子不足ニトロアレーン | 嫌気的。立体選択性と安全・物質移動面を改善し得る。[13] |
| Co-salen/H2O法 | 水 | MHAT–RPC後に水が求核付加する2026年の補完法。[21] |
| IDPi直接水和 | 水 | Brønsted酸触媒による不斉水和で、向山型MHATとは別機構。[22] |
触媒・還元剤の改良
Shenviらは、PhSiH3が反応中にアルコキシ化されて生じるPh(i-PrO)SiH2が、Mn/Fe触媒への効率的なヒドリド供与体であることを示した。これにより触媒量・温度を下げ、非プロトン性溶媒での水和や他のMHAT反応が可能になったが、すべての触媒系で有利とは限らない。[8]
Donnellyらのcis-β型Mn(III)(EtOSALPN)(acac)錯体は、α,β-不飽和エステルやラクトンの水和でMn(dpm)3より還元副反応を抑えた。配位子の立体・配位幾何が、MHAT後のO2捕捉と競合還元を左右する好例である。[10]
2020年以降の展開
Shenviらは2020年にChem. Sci.誌にPerspectiveとしてMHAT機構によるオレフィンのヒドロ官能基化反応に関する重要な総説を投稿している。本論文では、短寿命金属ヒドリド、溶媒ケージ対、ケージ崩壊/脱出を統一的に扱い、向山水和の機構像を大きく更新した[12]。2021年にはBhuniaらがFe(acac)3/PhSiH3/電子不足ニトロアレーンによる嫌気的水和を報告し、ニトロ基O原子へのラジカル捕捉を利用して、多くの環状基質で従来法を上回るdrを得た。二級アルキルラジカルの捕捉速度は室温で1.9×105 M−1s−1と見積もられている。[13]
この嫌気的法は2024年にOrganic Synthesesで20 mmolスケールのコレステリルアセタート水和として追試・標準化された。さらにCo(salen)系の詳細な速度論・錯体解析では、M–H形成が律速となり得ること、Co(III)–アルキル種やアクアCo(III)休止状態が関与することが示され、近年のレビューは酸化的/還元的MHAT、RPC、光・電気化学・二重触媒化までを一つの反応基盤として整理している。[16][17][18][19][20]
反応例・発展反応
Cortistatin A合成ではCo(acac)2/PhSiH3/O2条件が用いられ、ワンポット操作で63%収率の例が示された。Indoxamycin B合成ではMn(dpm)3(10 mol%)、PhSiH3、O2、EtOH、室温の条件で49%収率、dr = 1:1で進行しており、複雑分子で立体選択性が必ずしも高くないことも示す。[5][6]


Stoltzらは、ビニルブロミドをCo(acac)2(1 equiv)/Et3SiH/O2で処理し、水和後の脱臭化物を経て完全置換α-アミノケトンを75%収率で得た。ShenviらのFe/Ni二重触媒ヒドロアリール化は、MHATで生じた分岐アルキルラジカルをNi触媒が捕捉して四級炭素を構築するもので、向山反応が水和を超える「アルケン由来ラジカル発生エンジン」であることを示す。Carreiraらは2022年に、不飽和N-アシルスルホンアミドをラクタム/イミデートへ導く“diverted Mukaiyama hydration”を報告した。[9][11][15]
実験手順
再現性が第三者確認された現代的プロトコルとして、Organic Syntheses 2024のコレステリルアセタート20 mmol例を示す。これは古典的O2法ではなく、ニトロアレーンを酸素源とする嫌気的変法であり、他基質への適用時は原著条件を再最適化する。[16]
- Ar雰囲気下、基質、Fe(acac)3(2.5 mol%)、methyl 4-nitrobenzenesulfonate(1.3 equiv)、NaHCO3(2.0 equiv)をMeOHに溶解する。溶解性が低い場合はTHFを併用し、0 ℃に冷却する。
- PhSiH3(3.0 equiv)を内温10 ℃以下で滴下し、室温で16時間撹拌する。
- 溶媒留去後、EtOAc/2 M HClで分配し、シリカゲル精製する。原報では再結晶後56%収率で目的アルコールを得ている。
実験のコツ・注意点
- O2とヒドロシランの併用は可燃性・発熱・過酸化物リスクを伴う。純酸素、密閉系、スケールアップは個別の熱・ガス・過酸化物評価なしに行わない。
- ニトロアレーン法でもPhSiH3滴下時にH2が発生し得るため、圧力を逃がせる装置と十分な換気が必要である。電子不足ニトロアレーンと過剰シランは、酸素移動とニトロソ副生成物の還元に重要である。[13][16]
- 還元体、異性化体、過酸化物をLC/GC-MSや適切な呈色で追跡し、触媒、シラン、濃度、O2供給を基質ごとに調整する。Ph(i-PrO)SiH2は有力な比較候補だが、触媒系によっては改善を与えない。[8][10]
参考文献
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- Isayama, S.; Mukaiyama, T. Chem. Lett. 1989, 18, 573–576. DOI: 10.1246/cl.1989.573
- Inoki, S.; Kato, K.; Isayama, S.; Mukaiyama, T. Chem. Lett. 1990, 19, 1869–1872. DOI: 10.1246/cl.1990.1869
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